評論





若いというのは、何とすばらしいことか。
70年代初期。軽自動車で四輪業界に殴り込みをかけたホンダは、低価格と性能で市場を席巻します。が、ベストセラー車の欠陥騒動で一気に販売は低迷。結局、当時の運輸省からは「欠陥は見つからず」ということで事なきを得たものの、風評を覆すには至らず、宗一郎は空冷エンジンで高性能な車の試作を開始、巻き返しを図ります。
時を同じくして、アメリカでは『マスキー法』という自動車の大気汚染を規制する法案が可決され、世界の自動車メーカーは同じスタートラインから環境対策に取り組まねばなりませんでした。当然、ホンダの社内でも、プロジェクトが立ち上がりました。
「これは、ホンダがビッグスリーに絶好の並ぶチャンスだ」そう言って、宗一郎は現場にハッパをかけました。
ですが、若い技術者たちは反論します。
「これは、ホンダだけではなく、社会の為、人類のためにやっているんです。次の世代に青い空を残してやるのが、車に携わる技術者の使命なんです」
宗一郎は「はっ」としたといいます。それ以来、現場から脚を遠ざけるようになり、排ガス対策のCVCCエンジンが完成した後、突如社長職を辞します。
「CVCCエンジンの開発に際し、私は、ビッグスリーに並ぶチャンスだと叱咤した。が、若い人たちに「自分たちは世間のためにやっているんだ」と反発された。私の考え方は、いつの間にか企業本位なものになっていた。若いというのは何とすばらしいことか。皆、どんどん育ってきている」
自分の偏った考え方を正してくれた若者たちに道を譲ろう。宗一郎はそう決心したようです。技術者としてよりも、社長として選んだ決断だったのだと思います。
俺たちの作った車を模型にしてくれるんだ。いいじゃねーか
F1に進出し、11戦目にして初優勝をとげたホンダのRA272。当時、プラモデルメーカー「タミヤ」は、飛行機、軍艦に次ぐ製品のシリーズとして、自動車に注目していました。まさにホンダのF1初優勝はかれらにもトピックでした。
実際にRA272の模型化に際し、実車の取材をしていたタミヤのスタッフに待ったの声がかかりました。
「ブレーキ周辺は企業秘密なので、写真はご遠慮ください」
タミヤのスタッフは困惑しました。そこへ、作業服を着た中年のホンダ社員が現れて言いました。
「俺たちの作った車を模型にしてくれるんだ。いいじゃねーか」
宗一郎は、模型になってブレーキ付近の形状が明らかになっても、そのころにはまた改良が進んで過去のものとなっていることを看破していたのかもしれません。
「あのおじさん。誰ですか?」
タミヤのスタッフは、社長だと思っていなかったといいます。
別荘はいらん 
本田さんの遺産は、180億円にもなったそうです。別荘くらいもっていても不思議ではありませんが、
終生、別荘を持たなかったといいます。
「年に数回しかいかないとろにどうしてお金をかけるのか。そんな事ならその分、いつも住んでいる家
に金をかけたほうがいいじゃねぇか」というのが口癖だったそうです。
それでも、金持ちと思われたくなかったようで、自宅での取材等は、いつも縁側。
追悼の番組を制作したNHKのスタッフも、なかなか入れなかったそうです。
あの太った女はいいのかい?
マン島TTレースに出場宣言したものの。世界との技術の差に愕然とした本田さんは、
ヨーロッパで参考にする部品を買い込んだといいます。
ローマの空港で、帰路に着くとき、当時は荷物の重量制限が厳しく、本田さんは荷物
を減らすように言われましたが、カバンの口が閉まらないほどのパーツ、背中に背負った
タイヤなど、早く日本へ持ち帰りたい一心で、イタリア人の検査官に日本語で啖呵を切ったそうです。
気圧された検査官は渋々搭乗許可を出したということです。
こんな冷たい飯でいい仕事ができるかっ! 
社長室も設けず、会社の実印も専務に預けたままというのは有名な話ですが、
お昼も食事は社員食堂でみんなと同じものを食べていたそうです。
いつも冷めたご飯が出ていることを知るや否や「こんな冷たい飯を食わされて、いい仕事ができるか!」
と、社長自ら改善提案を出したそうです。


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